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高等裁判所に提訴( 昭和41年08月)

三角履板の特許紛争はついに高等裁判所に持ち込まれて日下審理中であるが事件は複雑を極めている。

・第1は特許庁長官を被告とした訂正審判不許可決定取消請求訴訟
・第2はキャタピラー社を被告とする湿地用三角履板特許無効審決定取消請求事件
・第3は三菱重工業を被告とする審決取消請求事件
・第4は日立製作所を被告とする事件
・第5は小松製作所を被告とする事件
・第6は小松が提訴した日特を被告とするサインカーブ履板実用新案無効審取消請求事件

である。


小松製作所は既述のごとく日特の三角履板を模倣してサインカーブと称する湿地用三角履板を生産して大量の湿地ブルを全国に売り込んでいるが、明らかに日特の特許を侵害しているにもかかわらず、模倣したもので実用新案を請求し昭和34年に登録になっていた。所が実用新案に登録された形状ではスリップが甚だしいので三角形の2辺が凹んだ形状の履板を生産し実用新案でもなんでもないものになってしまった。それにもかかわらず日特側から特許侵害であると抗議されると当方は実用新案権があると差止めに応じられないのであった。

この怪しからぬ態度に日特側は業をにやして、この実用新案の無効審判を請求していた。

この事件については特許庁は既述の米国特許を引用して無効審決を下した。日特側は米国特許は湿地履板ではないから米国特許を引用して小松のサインカーブの実用新案を無効にするのは間違っている。
小松の出願前に日特の三角履板が北海道で動いており明らかに出願前公知であると開発局長の証明までつけて反論したが、特許庁は日特の主張を認めないで米国特許を楯に小松の実用新案を無効と審決した。

小松側は直ちに高裁に審決取消の請求訴訟を起したので日特が被告となったものである。

小松側の提訴理由は『米国特許は湿地用の履板ではない、日特もそう主張しているではないか』という主張である。


面白いことに日特の湿地用三角履板の特許をつぶそうとする無効審判や高等裁判所の事件では米国特許は湿地用だ、湿地も歩けのだと主張し、自分のサインカーブについての事件では『米国特許は湿地用ではない日特もそう主張している』と主張する。高等裁判所で両方の事件をつき合わせて見ると面白いことになる。


湿地用三角履板に関する訂正審判というのは日特が湿地用三角履板の特許の名称や明細書の到る所に湿地用という言葉や表現があるのに、特許の請求範囲の記載に「湿地用」という言葉が抜けていたから訂正したいというもので誤解を避けるためである。
これに対して特許庁は湿地用という言葉を入れることは差し支えないが、そのように訂正されたものが米国特許によって公知だから訂正するわけにはゆかないというのが特許庁の主張である。


米国特許はグルーザーシューが良い道路を傷めるから台形断面のゴム履板で良い道路を歩き凸凹道やどろんこ道ではカバーをかけてやりそのカバーの形状を三角形にして三角形の頂点の摩擦力で歩くというのである。


断面形状がいかにも三角形であるが技術的思想がまったく異なる。この三角形のカバーをかけてグルーザーシューとゴム履板との切り替えて使う思想は現在のグルーザーシューにゴム板を取り付けて舗装道路を歩かせる方式が広く使われ、ゴム板が市販されているが、思想的には1920年の米国特許とまったく同じである。米国特許は重量の重い三角形のカバーを100個以上も付けたり取り脱したりすることは事実上不可能に近いし、三角形のカバーの総重量は1個10kgとしても全部で1tにもなってしまうのに比しゴム板なら単重2kgとして200kg程度であり、容積も小さいので遥かに実用的である。
米国特許がまったく世間からかえりみられなかったのはこのためである。

この米国特許を古い文献から見つけ出してきて湿地用三角履板は1920年から公知であると主張するのは随分無理な主張である。


湿地用トラクタが初めて現れたのは英国の泥炭地開発用にフォードソン社やロータリーホー社が1951年(昭和26年)頃実用化し始めたのが最初であり、湿地用ブルドーザは昭和29年、日特が湿地用三角履板を発明してからである。


小松、日立、キャタピラーはいずれも日特の三角履板を模倣したことは隠れもしない事実であるにもかかわらず、1920年出願の米国特許で公知であると主張する。自分の特許侵害を正当化するためにこんな馬鹿気たものを持ち出して紛争を起すのは徳義上許しがたいやり方である。


最近ガン征圧の記念切手のデザインに盗作が当選して大問題になっていたことが新聞に報道されているが、湿地用三角履板については天下の大会社が日特の設計を盗作して恥としていない。
昭和41年7月29日号の週刊朝日に平林たい子女史は盗作に寛容な伝統と題して一文を寄せられ『近頃は日本人が意匠盗用常習者のように思われてきたことを反省する気運が強くなって、日本商品のデザインも盗用をきびしく戒めている。それは当然な商業道徳である』と言っておられるがどうも建設機械工業界にはこのような反省はまったく見られない。


キャタピラー社は湿地用三角履板は1920年から公知であると主張するが1937年に写真72に示すように普通のグルーザーシューに扁平な木の板を取り付けて軟弱地盤を走らせている。湿地用三角履板の知恵はなかったし、片側に異中心に履板を伸ばすとリンクが物凄く磨耗する失敗であった。


この特許紛争が高裁あるいは最高裁で何のような結論になるかは裁判官の判断であるから今から知る由もないことであるが、本件のごとく本当に苦労して育て上げ、これがあるが故に八郎潟その他の干拓工事も完成できたし、東名道路の関東ローム地帯の工事も完工できるとさえ評価されている湿地用三角履板が発明に値いしないと判決されたとすれば世の中に発明というものはありえないと思うし、特許法の存在価値などまったくないと思う。
そしてなによりも大切なことは設計者や経営者の徳義の問題である。


日特の湿地用三角履板を模倣した他社の設計者は不道徳なことをしたこと百も承知である。この紛争を起した経営者連中もうしろめたさを感じていよう。正義は絶対に勝つことを信じて疑わない。

湿地用三角履板の特許紛争と無効審判事件( 昭和41年07月)


図4 1920年の米国特許


写真71 1917年頃のトラクタ

既述の如く昭和28年頃、日特金属工業がまだ大森の日本特殊鋼製作部であった時代に北海道の泥炭地開発用のブルドーザの発明に苦心惨憺して遂に世界的の大発明たる湿地用ブルドーザを発明したものであったが、驚いたことには昭和30年9月には早くも三菱日本重工と小松製作所が模倣を始め、本家本元の日特金より遥かに多量の湿地ブルを生産している始末である。


日特は昭和29年9月、特許を出願し昭和35年3月、公告となり、三菱の異議申し立てで散々妨害されたが昭和37年8月6日、特許登録されたのである。日特は三菱、小松両社に対して法律にもとづいて生産差止通告を行った。

三菱は直ちに河野社長自ら来社して陳謝され損害賠償を支払われたので立派な態度と敬意を払いたい。

所が小松は言を左右にして生産を中止せず、却って無効審判を起してこの特許をつぶそうとかかった。

小松の無効審判請求は1920年頃英国の特許に半装軌車両の懸架装置の発明があり、隅々その履板の形状が三角形であることを昭和35年頃特許庁の資料館から発見して公知であると騒ぎ出したものである。

特許庁の資料館で公開されたものであるから公知であることは事実であるが、半装軌車両が湿地に入れると考える技術者は1人もあるまいし、英国特許には三角形の頂点で歩くとかいてあるので、日特の特許『三角履板が三角形の2辺に相当する面で泥を搗き固めて歩く』というのとは根本的に技術思想を異にするもので目的作用効果が違うから個別のものと解すべきである。

小松と日特の主張は根本から食い違っていて特許庁で争われていた。特許論争としては極めてデリケートな問題であるが、

ともかく湿地ブルを開発したのは日特であり、これを模倣したのが小松であった。真似をするのはお前のを真似する。しかし古い文献には似たものがあることを発見したから公知であると主張するのが小松である。

徳義上このようなことが許されて良いものであろうか。特許法の立法精神はこんな不徳義を許すはずがないと主張するのが日特であった。


昭和39年9月、米国キャタピラー会社が突然清瀬一郎弁護人を代理として『湿地用三角履板の特許を無償で使わせろ、承知しなければ1920年の米国特許に三角履板の論文があるから無効審判を起す』と言ってきた。
三菱と提携して日本でブルドーザを作ろうとしていたキャタピラー会社は三菱から湿地ブルドーザの効果を教えられ日本で湿地ブルを生産したいと考えるようになり、それには日特の特許が邪魔なので、古い文献を調べてこの米国特許を発見したものであった。1920年と言えば無限軌道が発明されて間もない頃で車輪に比較して、不整地やどろんこ道があるけるのがもてはやされた当時である。初めて装軌式トラクターができた当初は写真71に示すように沢山の貨車を連結して牽引し、列車輸送の役割を果たすのが主たる任務であった。
不整地やどろんこ道を走る時は連結された貨車の牽引抵抗が大きいので履板は1枚歯の所謂(いわゆる)グルーザーシューでなければスリップして牽引力が出なかった。所が1本歯のグルーザーシューだと滑らかな道では歯が道路を傷めて仕方がなかった。そこである発明者が良い道路は台形断面のゴム履板で走り、田舎道に来たら金属製のカバーを被むせることを考え出した。台形断面のゴム履板に被むせるのでカバーの形状が三角形となり、図14に示すような着脱式の歯を発明したものであった。

発明者はこれを着脱式の歯と名づけ三角形の頂点の摩擦力で歩くのだと説明している。

これはだれが見ても道路走行用のトラクターであり湿地に入り得る性質のものでないことは明瞭である。装輪車両が湿地に入れると考えるものは1人もあるまい。1920年と言えばスチームエンジンのトラクタが動いていた直後であり米国特許の図面もお粗末なガソリンエンジンが露出しているトラクタである。こんな時代に湿地に入ることなど夢想もしていないはずである。

発明の目的が道路をいためないためのゴム履板にカバーをかけ凸凹道やどろんこ道を走る時に三角の頂点の摩擦力で牽引力を出そうと試みたものであり、日特の湿地用三角履板とは目的、作用、効果が違うことは明瞭であった。

日特は協議の末キャタピラー社の特許権無償譲渡交渉をはね付けた。

果たしてキャタピラー社は日本の特許庁に無効審判を申請しここにはしなくても日米の大特許紛争事件が発生し、キャタピラーの尻馬に乗って三菱も日立も無効審判を要求し、小松も有力な証拠現ると米国特許を証拠に追加し、日特は世界の4大会社を相手に大喧嘩をしなければならないことになった。


この事件について昭和40年12月、特許庁は不可解な理由で無効審決を下したので日特側は直ちに東京高等裁判所に審決取り消しの請求訴訟を起し現在審理中である。ただ面白いことにこの不可解な審決を下した望月宗康審判長は昭和41年1月28日、特許庁汚職事件で逮捕、起訴された容疑者51名、逮捕者31名の筆頭であったことである。

パンブリーカー(パンブレーカー)の開発と土地改良事業( 昭和41年04月)


写真68 日本で最初に作られたツールバー直結式バンブリーカー(昭和28年)


写真69 北海道の重粘土地帯で活躍するNTK6型レーキドーザのパンブリーカー作業


写真70 大型心土プラオを取り付けて富士山麓で活躍するNTK6型


昭和29年、NTK4型の開発に懸命の努力をしていたわれわれは4型トラクタにツールバーと言うアタッチメントを作った。

トラクタの後部にコの字型の押梁のようなものをトラニオンに取り付け、燃料タンク後方にヤグラ状の枠を付けウインチでツールバーを引き揚げたり釣り降ろしたりするようにし、ツールバーにプラオ(プラウ)やハローあるいはパンブリーカー(パンブレーカー) や弾丸暗渠掘削機を取り付ける研究をしていた。

写真68に示すものはツールバーにパンブリーカーと定規(じょうぎ)車を取付けたもので従来牽引式のパンブリーカーは日本でもわずかに生産され、使用されていたが、牽引式ではバックできないので圃場(ほじょう)の隅々まで作業ができないし狭い圃場では使いにくくて仕方なかった。殊にパンブリーカーは深さの調整がむつかしいので牽引式のパンブリーカーは殆ど発展しなかった。


パンブリーカーと言うのは心土破砕機とも呼ばれ重粘土地帯のように50cmの深さに重粘土層があって、雨が降れば表土はいつまでもジクジクと水分を含んでいるので水びたしの耕土では仮に表層が良好な耕土であってもろくな耕作物はできない。

そこでパンブリーカーを引っ張って心土を破砕してやれば水の通路ができるので表層の水分は地下に吸い込まれ逆に旱魃(かんばつ)の時には地下の水分が毛管現象で吸い上げられて耕作物の枯死を防ぐと言う効果があるので非常に有利な土壌改良法のの1つである。

昭和29年頃このようなことを考えて直結式のパンブリーカーを設計しい一部を北海道の小西農機に発注して研究を重ねたものであったが、ツールバーもパンブリーカーも当時の状況では普及させることができず、折角試作運転など実施しながら遂に生産まで持ってゆくことができずわれわれの努力も陽の目を見ることができなかった。


それから10年の歳月が流れ漸く土壌改良問題がやかましく言われるようになってきた。昭和39年になって北海道方面で重粘土地帯の土地改良にはパンブリーカーの使用が最適であると言う声が起こってきた。昭和39年末、北海道の生産連合会や道庁農務部および農業試験所が中心になってNTK6型に大型のパンブリーカーを付けて重粘土地帯の開発試験が行われて好成績を収め昭和40年度にはNTK6型数台にパンブリーカーを取付けたものが購入されることになった。
こうなってくると競争会社も聞き云いえてパンブリーカーを取り付けるブルドーザの売り込みに奔走し始めるから妙なものである。


昔から関係のあるもので1台だけは日特金製のパンブリーカーを取り付けて納品したが残りは小西農機のパンブリーカーを使用することに話し合って6型ブルドーザを道庁に6台納入した。

日本で始めて直結式のパンブリーカーを試作して以来10年がかりで目的を達したことになるが、新しい方式が世の中に認められ世論が沸くようになるには矢張り10年くらいの時間がかかるようである。

ともかく今後パンブリーカーの需要やこれを取り付けるブルドーザの購入要求は次第に増加するであろうが、直結式パンブリーカーを日本で最初に作ったのは昭和29年のことであったことは知る人ぞ知る事実であった。


パンブリーカーとよく似た構造であるが、NTK6型に大型の心土プラオを取り付けて富士山麓のコラと呼ばれる火山礫性土壌の処理に静岡県庁が非常に熱心に努力してくれ、良くNTK6型を使いこなして土壌改良を行なって好成績を挙げたのは昭和36年のことであった。
北海道の千歳農協でもNTK12型のA型20tブルで超大型プラオを牽引して反転客土を行ない、不毛の火山灰土壌を肥沃な農地にしてしまったことも諸外国に比較して特筆に価する業績であった。


ブルドーザのメーカーと小西農機のような大型農業機械メーカーとが仲良く手をつないで新らしい農耕法を開発すると結構世界にさき駆けて新しい農業技術を開発することができるものである。
しかしこのような研究は地道にコツコツと積み上げた研究である。物になるのは10年先と考えなければならない。目先の利益のみを追求されたのでは到底このような技術の開発はむつかしいし、そんな目先のことだけを考えたのでは、このような技術を開拓する希望も沸かないし第一担当する技術者が悪口ばかり言われて可哀想である。

根まがり笹の除去 昭和40年10月)


写真65 チエンソー式のクリアリング装置を付けたNTK4型(昭和33年)


写真66 クリアリングブレードを付けたNTK6型、下方の鋭い刃が木を切り倒す


写真67 クリアリングブレードが雑木林を切り開いてゆく



昭和33年頃、北海道の営林局方面の要望があったのでこの厄介極まる根まがり笹の除去方法について研究したことがあった。

写真に示すようにNTK4型油圧アングルドーザの排土板を取り外して特別なクリアリング装置を取り付けたもので、丈夫なクリアリング板を枠状に溶接で作り、クリアリング板の下方に水平にチェーンソーが張られ油圧モーターでチェーンソーが回転するように仕組んだものであった。鋭利なカッターが回転するから根まがり笹の強靭な繊維も造作なく切断してゆくはずであった。しかし当時は現今と違ってオイルモーターの効率も悪く油の漏洩(ろうえい)も多かったし、沢山のカッターが同時に根まがり笹の茎に切り込むと切削抵抗でオイルモーターが停止してしまうので実験は見事に失敗してしまった。

なかなか新しいことをやるとうまく行かないものである。


これも貴重な失敗の1つであった。これから7年の歳月が流れたが昭和39年2月頃、北海道の農業試験場の横山部長や北海道生産農業協同組合連合会からの熱心な要望から別の形式のクリアリングブレードを設計試作した。前述のチェーンソー式のクリアリング方式から大馬力のブルドーザ推進力を利用して斜めに鋭い歯を持ったクリアリングブレードとよばれる刃物を排土板の代わりに取り付け地面すれすれの高さで立木や根株を切り倒す方式である。

昭和39年11月14日、北海道紋別郡興部(おこっぺ)町で実験が行われたが成績は非常に良好であった。外国製のクリアリングブレードとの比較実験も行われたが日特製のクリアリングブレードの方が切れ味が良いようであった。刃の研ぎ方やわずかの刃の傾斜角度も大切であるが直径20cm位の木は一押しで切り倒せることが判った。


このようにして切り倒された雑木は地面に沢山の切り口を残して数百本の立木や切株がわずか10時間位で切り払われて平坦な土地ができ上がる。

こうなればトラクタでもブルドーザでも自由に走れる土地なので重ディスクハローという大重量のハローをNTK6型級のブルドーザで牽引して歩き回れば良い。重ディスクの頑丈な円盤状の刃は泥の中の切株や側根を切り裂き土地を耕やして農地にしてしまうのである。

レーキドーザで根株を1本1本引き抜いてプラオを掛ける丁寧なやり方に比較すれば随分ぞんざいなやり方であるが広大な面積の伐開にはむしろ低コストで能率的な方法と推奨させるべき方式である。


それぞれの土地条件、面積、立木の種類など色々の利害を考えて方式を検討するべきものであるが、レーキドーザ方式にも捨て難い良さがあるし、クリアリングブレード方式も注目すべき新しい開墾方法であることも事実である。

チェーン伐根 (昭和40年10月)

これに比較してチェーン伐根と呼ばれる大規模な伐開方式がある。

インドやアフリカなどで行われている方法で、23t級以上のブルドーザを2台並べて30m程の間隔を取らせて走らせ、2台のブルドーザで船舶用の錨鎖(ビョウサ)を引き引き摺(づ)らせて森林をなぎ倒す方法である。

船の錨鎖は随分頑丈で重量も重いものであるが、木がなぎ倒されるだけで抜けなければ何にもならないので鎖に直径1mもある大きな分銅を付けて引き摺る方法が取られている。インドや南米の奥地で材木などはなんぼでもある土地では森林をなぎ倒して開墾する方法も有利であるが、日本では太い木は予め切り倒して利用しなければ損だから切り株だけが残っている。

チェーン伐根では切り株の除去がむしろ困難だし立ち木のままチェーン伐根を行うと幹が割れたり裂けたりして利用価値がまったく低下してしまう。それに熊笹や根曲がり笹の根、地下茎が発達した植物の群生する地帯などでは重い鎖や分銅を引き摺って見た所で笹の茎などはビクともしない。

こんな理由で7年ばかり前に行われたチェーン伐根は日本では散々な不評を買って失敗してしまった。

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Author:Big Muski
土木機械写真貼はサーバトラブルで消滅しました。

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